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Yukio Ozaki and his daughter
("Yukio Ozaki and his daughter" Yousuf Karsh,1950)

2023.9.10

「人材育成」と「咢堂塾」

「人材育成」を掲げる尾崎財団


 尾崎行雄記念財団について簡単に紹介しよう。この財団は、”憲政の父”と呼ばれたせいか・尾崎行雄が亡くなった二年後の一九五六年、超党派の国会議員有志と民間有志によって設立された民間公益団体である。尾崎行雄が追求した真の民主政治と世界平和の実現に寄与することを目的とし、そのための人材育成や有権者啓発事業を行なっている。

 一九六〇年、尾崎財団が中心となって全国から浄財を募り、国会議事堂正面前庭に建設されたのが「尾崎記念会館」である。それは完成と同時に国に寄贈され、衆議院が運営することになった。
 その後、名称を「憲政記念館」と変更し、尾崎行雄関連をはじめとする貴重な憲政史資料を展示している。そして同記念館の一角に、尾崎財団の事務所が入っている。

 僕がこの尾崎財団に勤め始めた当時、主な事業活動は、月刊誌の発行、講演会の開催が中心で、加えて年に一回、数名の若者をアメリカに一週間ほど派遣するという事業、また、「咢堂賞(がくどうしょう)」の贈呈という顕彰事業も行なっていた。「咢堂」というのは、尾崎行雄の雅号(ペンネーム)である。
 財団は「人材育成」という旗を大きく掲げていた。真の民主主義の担い手として、健全な有権者とリーダーを育成しようというわけだ。それは方向性としては間違っていない。ただ、それをどういう手段で、いかに効果的に実践するのか、その戦略が乏しかった。

 月刊誌の発行、年に数回の講演会、年一回のアメリカ派遣、同じく年一回の顕彰事業。どれも、それなりに意義のある事業だが、僕の中で、もう一歩、何かが足りないと感じていた。
 人材育成というのは、一朝一夕にできることではないし、言葉でいうほど簡単なものではない。当時の事業は、どちぃらかというと有権者啓発に重きを置いた、広く浅いものだった。もちろんそれも需要だが、本当に人材・リーダーを育成しようとするなら、それに特化した、新たなものが必要だ。

「咢堂塾」の発足-相馬さんのリーダーシップ


 勤め始めて一年半が過ぎ、全事業を一通り経験した僕は、既存事業の再検討をしてみてはどうかと、ある日、思い切って相馬さんに詰め寄ってみた。すると相馬さんは即座に「具体的に何をしたいの?」と聞いてきた。


 僕は恥ずかしながらその答えを用意していなかった。まずは僕が挙げた批判点について、相馬さんが反論するなり、考えを言うなりするかと思っていたからだ。まさか、いきなり具体的な代替案を求められるとは思ってもいなかったが、それが甘かった。
 僕は素直に「具体的にはまだ何も・・・」と答えたが、それだけではあまりにもバツが悪いので、とりあえず何か言っておこうと、
「そうですねえ。例えば、ええ・・・・・・人材育成ですから、何かスクールのようなもの、そう、松下村塾のような・・・・・・」
 そのあまりにも適当な回答に、相馬さんは僕をキッと睨んで言った。
「本当に大切なことは、思いつきで言っちゃダメです。何かを批判する時も、新しいことを提案する時も・・・・・・とにかく自分の頭の中でよく練って、理屈を考え抜いてから言葉にしなさい。そして、言葉にしたら行動しなさい!」
 一見、叱られ、否定されたように思えたが、言い換えるなら「準備を周到に進めたうえで行動に移しなさい」ということ-これは明らかにゴーサインだ。

 相馬さんはその後、次の理事会で僕に発言の機会を与えるので、それまでに改革案をまとめておくようにと言った。僕はその日から、人材育成に向けた新規事業の立ち上げに的を絞り、いろいろと調べ歩いた。
 人材育成というからには、体系化されたカリキュラムがあり、同じ参加者を一定期間、一定の場所に拘束する必要がある。また、一方通行の講演スタイルではなく、参加者同士も議論を深められる時間が必要だ。異なる意見を持つ者同士が、理性的な討論によって合意を見出していく。あるいは、たとえその場で合意形成ができなくても、その議論のプロセス自体が、民主主義の成熟を促すに違いない。相馬さんがいつも大切にする「自由で公正な議論の場」だ。

 ついに「咢堂塾」の素案ができた。理事会の前夜まで文章をつくっていたので、相馬さんに見せることもできなかった。根回しも何もないまま、理事会に提出し、相馬さんから与えられた時間で、僕なりに精一杯の説明をした。しかし、反応が悪い。いや、はっきりいうと、反対意見が多かった。理由は一つ。この事業内容は、これまで財団が経験したことがなく、コスト的にもリスクが大きいため、中長期的な運営が困難ではないかということ。
 確かにその通りだ。このプログラムでは、専門の講師を毎回招くため、謝金や会場費などのコストが、これまでの定例講演会の二倍以上となる。その分、参加者から参加費用をとるわけだが、これも、財団の個人会員の数倍となる金額を設定した。
 個人会員も年々減少している時に、果たしてそれだけの参加費収入が見込めるかどうか、きわめて疑わしかった。とにかく、財団として経験したことがない以上、いくら他団体の例を挙げても、不透明性やリスクが高く、経営者として慎重になるのは当然といえた。

 理事会全体の雰囲気が重苦しい。これは検討し直したほうがいい、”やらない”という結論に達しかけた、その時である。相馬さんが口を開いた。
「すべての責任は私が負いますよ。だからやってみませんか。せっかく若い人が考えたんだし、勿体ないよ」
 僕が、リーダーの条件とは何か、と問われれば、迷わず”最終的にすべての責任を負う能力と覚悟を持ち、決断することだ”と答える。相馬さんは、まさにリーダーだ。「すべての責任は私が負います」-なかなか口に出せるものではない。
 その短くも力強いフレーズに、長年NGOとして自らが行動を起こし、先駆をなしてきた相馬さんの気概を見て取れた。
 相馬さんの”鶴の一声”で、というわけにもいかなかったが、前向きな議論となったのは確かだ。しないことが前提ではなく、実現に向けてクリアすべき点を洗い出すという作業に移っていった。

 それから約半年の間、紆余曲折もあったが、僕の指導教授だった財団理事が中心となり、いろいろな方の助言や指導も頂きながら、なんとか形になっていった。相馬さんが代表となり、「咢堂塾」が正式に発足したのは一九九八年、ちょうど十年前である。

 現在「咢堂塾」は、三百五十名を超える卒塾生を出し、約1割が地方議会議員として活躍、また、新たにNPOや勉強会を立ち上げた者も、二十名にのぼる。まだまだ改善すべき点は多々あるし、相馬さんも現状に満足はしていない。
 学生・会社員・主婦・政策担当者・議員など、様々な分野の人たちが全国から集うこの塾は、今や財団の中核事業となっている。



『平和活動家 相馬雪香さんの50の言葉』(2009年 石田尊昭著、世論時報社)

 咢堂塾ホームページ(https://ozakiyukio.jp/gakudojuku/)